東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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これは、名著だ。『反哲学入門』木田元

|2014年8月24日 22:18| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
●『反哲学入門』木田元 新潮社

kidagen.jpgこれは素晴らしい。文句なしに名著である。いままで読まなかったのを反省しました。

私が選ぶ名著の殿堂入り決定だ。

宣伝文句に「日本人がなぜ欧米人の哲学がわからないのか、その訳がようやくわかった!」とある。
これは誇張でもなんでもない。まさに、目からウロコの本である。

すべての人文社会系の人におすすめしたいし、すべての理系の人にもおすすめしたい。

以下、衿を正して、簡単に要約する。お前らも正座して読むように。


反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社
2010-05-28
哲学は、西洋という文化圏だけに生まれた、人生観・道徳思想・宗教思想といった材料を組み込む特定の考え方である。あるいは、切り縮めていえば「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方である。そういう考え方をしうるためには、自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならず、それは西洋だけの考え方である。その考え方によると、自然は超自然的原理――イデア、純粋形相、神、理性、精神などとよばれる――によって形を与えられるたんなる材料にすぎない。
西洋でも、はじめからそんな反自然的な考え方をしていたのではない、ソクラテスいぜんの思想家の時代のギリシア人は、そうした考え方をしていなかった。ところが、ソクラテス、プラトンの時代に「イデア」のように超自然的な原理を参照して自然を見るという特異な思考様式が伝統になった。
19世紀後半、ニーチェがこのことに気づいた。彼はその時代のヨーロッパ文化が行き詰まっていると感じ、その原因を探り、その原因が超自然的な原理に立って自然を見る反自然的な考え方のなかにあると見抜く。ハイデガーやメルロ=ポンティやデリダといった20世紀の思想家はすべて、多少なりともそうしたニーチェの志向を受け継ごうとしている。ニーチェの狙いは哲学批判、哲学の解体にあり、その立場に立つものを木田は反哲学とよぶ。

われわれ日本人の志向の圏域には、西洋のような超自然的原理はない。デカルトが『方法序説』でもち出してくる「理性」ですが、われわれが「理性」と呼んでいるものとはまるで違うものである。デカルトのいう「理性」は人間のものではなく、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所のようなものである。

では、いったい哲学とはなんなのか。哲学の根本問題は、「存在とはなにか」を問うことである。ハイデガーは、プラトン/アリストテレスのものとで超自然的思考様式と物質的自然観が連動しながら成立し、<ある>ということと、<存在する>ということが、<つくられてある>ことと受け取られることになり、この存在概念が以後<西洋>という文化圏の文化形成を規定してきたということを明らかにしようとした。プラトン以前のギリシア人は、自然を「なりいでてある」とみていたが、プラトン以降世界観が変わった。
プラトンには、イデアの世界とその模像である現実の世界を考える「二世界説」があった。アウグスティヌスはプラトンのその「二世界説」を新プラトン主義経由で受け継いだ。プラトンの「二世界説」を「神の国」と「地の国」の厳然たる区別として取り入れた。アウグスティヌスの死後、この考え方はギリシア哲学の遺産はローマ・カトリック教会の正統教義として承認された。そして、西ローマ帝国の滅亡後、ギリシア哲学の遺産はイスラムによって研究された。さらに、13世紀、トマス・アクィナスによって、イスラム経由のギリシア哲学が取り入れられ、スコラ哲学として完成される。
ルネサンスの時代に入ると、ガリレオのように自然をもっぱら物質的に、量的関係に即して見ようとする人たちが一部にあらわれる。ガリレオは分析と総合という二重の方法により、自然を織りなす量的関係をとらえ、数学的に表現できるようになり、数学的自然科学の方法論的基礎が確立された。しかし、当時の人からみると、数学的自然科学という考え方には謎があった。自然はわれわれの外部にあるが、数学的観念は経験的観念ではない。にもかかわらず、すべての精神にそうした数的観念がある。これは、神がわれわれに植えつけた「生得観念」だと当時の人は考えた。だとすると、われわれの外部にある自然の研究に、われわれの精神にそなわっている数学的観念を適用可能なのはなぜか。その存在論的基礎付けが必要であり、それを自然研究の普遍的方法にするのがデカルトの仕事であった。

デカルトは「方法論的懐疑」により、疑おうと思っても疑い得ない真理を求めた。すべてを疑っても、「考えている私」は疑えないと考える。この私は身体もなく、世界もなく、自分のいる場所もないと仮想でき、私を存在するものにしている魂は身体から区別され、身体がなくてもある。私たち人間にあって実体をなしているのは「精神」であり、「身体」はたまたまくっついているだけたと考えた。だからこそ、人間の感覚器官に与えられる感覚は「物体」の、つまり「自然」の構成要素ではなく、身体への現れにすぎない。デカルトはこれにより、「生得観念」の客観的妥当性を確保しようとした。「生得観念」は、当時、神が私たち人間の精神に必要部品として植えつけた観念であると考えられていた。つまり、世界は神によって創造され、神の意図が摂理(理性的法則)として支配していると考えられており、その一方で神はみずからに似せて人間を創造し、それに理性を与えた。人間の理性は神の理性の出張所のようなものであり、その理性に植えつけられた生得観念は、世界を貫く理性法則と神を媒介にして対応している...というわけである。これだけの手続きを踏んだ上で、デカルトは神の存在とその誠実さが証明されたのだから、「物体」の存在を証明できたとする。このデカルトのいう「理性」は私たち日本人のいう理性とはまったく異なるものである。なおかつ、「近代的自我」というべきものではない。また、デカルトが証明したという「物体」が妙なものである。「私の精神」は方法的懐疑の過程で身体から切り離され、肉定的感覚器官などもっていない精神である。その精神が明晰判明な観念をもちうる物体とは、光とか色、音、香、味、熱と冷などの諸性質をもっていない物体である。デカルトの考えでは、純粋な精神の洞察するものだけが自然の真の姿であり、そこには数学的に処理できない生命だの質だのというのは一切ふくまれていない。彼の自然観がしばしば「世界幾何学」といわれるのはこのせいである。

デカルトの哲学は理性を重視したという意味では、間違いなく「理性主義の哲学」である。ここでいう理性とは特殊な意味であることの注意が必要だ。神のRatioを中心にして、一方に世界を貫く理性法則としてのratio、そして、神によって神の理性の似姿として植えつけられた人間のratioと、この3つの理性の織りあげる秩序を重視するのが17世紀前半の理性主義であり、「古典的理性主義」である。

それが18世紀に入ると、事情が変わる。18世紀も「理性の時代」とか「啓蒙の世紀」と呼ばれるが、ここでの「理性」は、17世紀の古典的理性ではなく、神的理性の後見を脱した啓蒙的、批判的理性である。17世紀以降、ベーコン、ニュートン、ロック、ヴォルテール、ディドロなどの啓蒙の運動により、理性そのものが批判された。この時代、人間の認識について対立する2つの立場があった。「理性主義」と「経験主義」である。理性主義は、われわれの理性には生得的な観念(機能と考えてもいい)があると考える。それに対して、経験主義は、われわれのもつ観念はすべて経験的観念であり、われわれの認識はすべて経験的認識であると考える。

経験主義からの批判により、理性主義の立場では、人間理性は神的理性の後見を脱しなければならないが、そこには困難があった。神的理性の媒介なしに、人間の理性認識と世界の合理的存在構造との一致を理論化しなければならない。
そこで、神的理性の媒介なしに、ある範囲内でのわれわれの理性的認識の効力を認めることを主張したのがカントである。彼の主著『純粋理性批判』は、純粋な理性的認識が有効に働く範囲と、その働きが無効になってしまう範囲とを批判的に区別するものであった。もしわれわれの認識しているものが、われわれとは無関係にそれ自体で存在している世界なのだとしたら、理性的認識がその世界の存在構造に一致するはずはない。しかし、もしその世界がわれわれの理性がつくった世界だとしたら、そうした一致が成り立っても不思議ではない。つまり、われわれの認識している世界が、われわれに現れ現象している世界(現象の世界)であり、与えられた材料が人間理性に特有の形式に合わせて加工された世界なのだとしたら、その形式的構造に関しては先天的に知ることができても不思議ではない。カントは、、これまで「われわれの認識が対象に依存し」、それを模写するのだと考えてきたのを180度転回して、「対象がわれわれの認識に依存している」と考え直すことによって問題を解決したといい、この転回をコペルニクスの地動説の発見に比した。カントの考えでは、幾何学と数論は理性的(先天的)認識の体系にほかならない。理論物理学は、現象界の形式的構造についての理性的(先天的)認識の体系である。したがって、幾何学・数論・理論物理学は理性的認識でありながら、われわれの認識する現象界に当てはまり、確実な認識の体系として成り立ちうる。他方、神学や形而上学、あるいは幾何学・数論・理論物理学以外は普遍性を客観的妥当性をそなえた認識の体系ではありえない。したがって、これらについては地道に経験を積み重ねて、蓋然性の高い認識を得るしか道はない。

カントの考え方からすると、神学や形而上学については理性のおこなう認識が有効ではない。そうすると、神を理論的に論じることは無意味になる。ただし、カントの哲学は『純粋理性批判』だけではない。道徳的な実践の主体としての私は現象界の一員ではなく、物自体としての人格でなければならない。『実践理性批判』では、そうした実践哲学を展開した。さらに、『判断力避難』ではデカルト以来の機械論的自然観からもこぼれ落ちてきた有機的自然の問題を取り上げた。

カントの理論では、現象界と物自体界、理論理性と実践理性の二元論的対立、つまり二元論として人間理性の有限性があらわれていた。ドイツ観念論の展開のなかで、その一元化がめざされ、ヘーゲルがその思想を形成した。カテゴリーはたんなる認識のための思考形式のとどまらず、宗教的・倫理的・社会的・芸術的活動など主観の活動一般の形式と考えられるようになる。一方、世界のほうもたんなる自然界ではなく、歴史的な世界ととらえられるようになる。こうして世界は歴史的世界として受け取られ、主観は歴史的世界を形成していく民族精神として、いや人類の精神として捉えられる。ヘーゲルの考えでは、そのとき精神と世界のかかわりは相互的なものである。それはアダム・スミスから学んだ「労働」という使ってとらえる。労働は労働の主体が世界に働きかけ、同時に世界によって自分も働きかけられ、その対話を通じて生成する。そうした相互作用により、弁証法的に精神が生成していく。その世界史は、人間にとって自由の拡大の道程である。こうして人間理性はヘーゲル哲学によって、自然的および社会的世界に対する超越論的主観としての位置を手に入れたことになる。しかも、カントにおいてのように、現象界という限られた領域に関してだけでなく、みずから弁証法的に生成していくことによって、世界の全体に対してそうした位置に立つことができるようになった。ここに西洋の超自然的志向様式は完成する。そして、技術が猛威をふるう。、ヘーゲルが没した1830年代には産業革命の波がヨーロッパをおおう。そうした技術文明は自然科学を基礎にし、物質的・機械論的自然観を基礎にして成立したものである。ヘーゲルの死後、ヘーゲル哲学批判がはじまる。

ニーチェは19世紀後半のヨーロッパの不毛な精神的状況をニヒリズムと診断する。その病因は、これまでヨーロッパの文化形成を導いてきた、彼の言葉づかいでは「超感性的な」、私たちの言葉づかいでは「超自然的(形而上学的)な」諸価値がその力を失ってしまったことにあると考えた。その事態を彼は「神は死せり」といういい方であらわす。神はキリスト教の神であるが、それだけでなく真善美のイデアをはじめとする最高諸価値の象徴の終わりであり、それらが無意味に見えるようになり、ニヒリズムが生じたとする。すべての価値は誤って事物の上に投影されたものであり、それは自然を超えたところに超自然的価値を設定した元凶はプラトンにある。このニヒリズムを克服するには、ニヒリズムを徹底するしかないとニーチェは考えた。最高価値をもともとそんなものはなかったと積極的に批判し、「プラトニズムの逆転」を企てることが克服につながる。

最後に木田はハイデガーを論じる。『存在と時間』が未完であり、ハイデガーの意図を「ナトルプ報告」などから検討を加えるが、そのあたりは省略する。ハイデガーはまずプラトン/アリストテレス以来、西洋の伝統的存在論において一貫して受け継がれてきた存在概念が<存在=被制作的存在>であったことを明らかにする。そこでは<存在するもの>が制作の無機的な材料と見られる。現代の技術文明もそうした文化形成の帰結である。ニーチェと同様に、ハイデガーは技術文明の先行きに絶望し、存在概念を転換することによって文化形成の方向を転換しようと企てる。そのとき彼の念頭にあったのはニーチェに教えられた古代ギリシア早期の<存在=生成>と見る存在概念だったにちがいない。

ハイデガーは1947年に反人間主義(アンチヒューマニズム)を提唱した。それに先立つ1945年、サルトルは『実存主義は一つのヒューマニズムである』という表題の講演をした。ハイデガーは自分の思想は実存主義でもなく、ヒューマニズムでもない。むしろ、人間中心主義であるヒューマニズムを批判し、ヒューマニズムの根幹をなす超自然主義的(形而上学的)思考の克服をはかる反ヒューマニズムだという。さらに、ハイデガーは人間よりも<存在のほうが>、そして存在の住まいである<言葉>のほうが先だと主張する。ハイデガーのこうした考え方が、人間より構造が先だと主張し、反ヒューマニズムを標榜する20世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たち、デリダやラカンやフーコーやドゥルーズといった人たちに大きな影響を与えた。

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