東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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わかりやすいという点で名著。ドゥルーズの哲学原理。

|2013年8月11日 15:14| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
『ドゥルーズの哲学原理』 國分功一郎

評判のいい本である。まじめにわかりやすく書いている。

第II章「超越論的経験論」の説明がいい。ドゥルーズ哲学の発想の根幹には、超越論的経験論の構想があるというp50。ドゥルーズはカントが創設した超越論哲学のプログラムを高く評価した。しかし、カントがそれを十分に運用できなかったことを批判したp66。その批判の根底には発生への視点がある。カントは装丁すべきでいものを想定しており、その発生を問うていないp51。の欠陥を乗り越えようとドゥルーズはカントを修正し、ヒュームの「信念による所与の表出」という概念を加える。認識は信念によって支えられているという見方である。さらに、出来事あるいは<特異性-出来事>こそが超越論的に見出される真の発生素であるとみなす。これは微細表象としてイメージされるものである。このようにしてドゥルーズは超越論的経験論の道具立てを完成させ、次に精神分析の検討へと向かう。

ドゥルーズは現代の超越論的哲学の先端部に精神分析があると考え、フロイト的な主体の構成を考える。ドゥルーズはフロイトのなかに微細表象論、つまり非系列的な<特異性-出来事>の議論を読み取る。そこから國分はフロイトの議論をいろいろと説明するが、意味不明の世界に入っていく。快原理は経験的領野を支配する原理であり、タナトスすなわち死の本能は、その支配を基礎づけるという意味で超越論的な原理である。ドゥルーズはこの超越論的な原理が快原理という経験的原理の要請に従って生成すると考えた、というわけである。

ここまでの論理を振り返ると、超越論的経験論の構想はいいし、微細表象論というところまではいい。しかし、それをフロイトに結びつけるのは何の根拠も感じられない。そもそもドゥルーズがフロイトを理解しているかどうかも怪しいもんだ。フロイトが考察する自我は、おそらく哲学的な主体の概念とはレベルが違うだろう。自我は狩猟採集民にもあるし、あらゆる民族にあるだろう。それに対して、西洋的主体は西洋だけのものだろう。そのあたりを含めて、両原理を結びつけるには、妥当性があるのか、もっと深く考察する必要があるが、それをドゥルーズはすっ飛ばしている。

第IV章「構造から機械へ」ははむずかしい。機械については、元のDGの説明がわからないので、國分の説明でもわからない。國分の結論は、ドゥルーズが「セリーモデルと微細表象モデルを曖昧に接合してしまったように思われる」P159という点にある。そこにドゥルーズの誤りがあるという。その点については納得。

第V章「欲望と権力」はフーコーの権力論とドゥルーズの関係を論じている。ここはわかりやすく、納得できた。フーコーは当初「言説的編成」を重視していたが、『性の歴史』では「非言説的編成」を同じように重視し、両者をともに検討する。ドゥルーズはこの問題にこだわり、「これらの形態の外に、社会的領野に内在する共通の原因が一般に存在するか?」p194と問う。この問いに対するドゥルーズの答えは、権力作用を作動させているのは欲望である、ということである。「権力とは欲望の一つの変状である」P217という。その際、「欲望のアレンジメント」という概念を示したのがドゥルーズのアイデアである。

このように國分の説明は難解なドゥルーズという割にはきわめてわかりやすい。ポイントをうまく絞っており、自分のストーリーに強引にまとめているからだ。ただし、これほどわかるのなら、もっとドゥルーズの理論の欠陥に気づいてもよさそうである。私ならいくらでもいえる。にもかかわらず、國分は批判的なことをあまりいわない。まさか、良い人ぶっているんじゃないでしょうけど。

この本は、2013年08月04日(日) 朝日新聞 の書評でとりあげられた(鷲田清一 )。8月11日には日経新聞にとりあげられた(いとうせいこう)。後者の書評については、おそらく評者は何も理解していないのではないか。それはともかく、この本はわかりやすく書かれており、著者がきちんと読解し、ストーリーを組み立て、その理解のしかたがよくわかるという意味で、名著である。



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