東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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小飼弾が、内田樹にかみついた。

|2011年8月12日 16:02| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
情報の質に関するただ一つの原則

これは、小飼氏のほうが正しい。

内田氏のブログを読んでみたが、小飼氏の批判以前に、完全に時代錯誤な内容だった。

インターネットの言論において、質が高いとか、低いとか、そんなことをいうこと自体、馬鹿げている。層化しているというが、それも馬鹿げた話だ。そういう価値論とは別のレベルで、自由に言論が流通するのがインターネットの世界である。インターネットをまったくわかっていない。

内田氏は昔の文藝春秋的な論壇が懐かしいようだが、それはそれで閉じられた世界ではいくらでもあるだろう。だから、内田が気に入るようなハイレベルの人たちを集めて、サロンのような高尚なSNSでもつくればいいんじゃないですか。

小飼氏の批判の要点は、価値を決めるのは受信者であるという点にある。この批判は、至極もっともだ。

この議論はマルクスの価値形態論に相同である。マルクスは労動価値説をとり、汗水たらした労動こそが価値を生むと主張した。しかし、それは現在では否定されており、価値は相対的なものとされる。そのあたりは、柄谷行人が価値形態論としてずっと前に議論したと思う。読んだことはないが。その骨子は、貨幣が言語のように流通するという点にある。内田は構造主義に詳しいので、わかっていると思うが、言語においてシニフィエの意味を定義するには、他の語との差異をみなければならず、その差異は無限につづくため、定義できない。貨幣の価値も言語と同様に定義できないのだ。

私がいいたいのは、インターネットができて言論もまた貨幣のように、あるいは語のようになったということだ。

言論の価値を絶対的なものとみなして、その質の高低を主張する内田は、いわばマルクスの労働価値説と同じ立場だ。19世紀の思想である。

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