これは、名著だ。『反哲学入門』木田元
●『反哲学入門』木田元 新潮社
これは素晴らしい。文句なしに名著である。いままで読まなかったのを反省しました。
私が選ぶ名著の殿堂入り決定だ。
宣伝文句に「日本人がなぜ欧米人の哲学がわからないのか、その訳がようやくわかった!」とある。
これは誇張でもなんでもない。まさに、目からウロコの本である。
すべての人文社会系の人におすすめしたいし、すべての理系の人にもおすすめしたい。
以下、衿を正して、簡単に要約する。お前らも正座して読むように。
哲学は、西洋という文化圏だけに生まれた、人生観・道徳思想・宗教思想といった材料を組み込む特定の考え方である。あるいは、切り縮めていえば「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方である。そういう考え方をしうるためには、自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならず、それは西洋だけの考え方である。その考え方によると、自然は超自然的原理――イデア、純粋形相、神、理性、精神などとよばれる――によって形を与えられるたんなる材料にすぎない。
西洋でも、はじめからそんな反自然的な考え方をしていたのではない、ソクラテスいぜんの思想家の時代のギリシア人は、そうした考え方をしていなかった。ところが、ソクラテス、プラトンの時代に「イデア」のように超自然的な原理を参照して自然を見るという特異な思考様式が伝統になった。
19世紀後半、ニーチェがこのことに気づいた。彼はその時代のヨーロッパ文化が行き詰まっていると感じ、その原因を探り、その原因が超自然的な原理に立って自然を見る反自然的な考え方のなかにあると見抜く。ハイデガーやメルロ=ポンティやデリダといった20世紀の思想家はすべて、多少なりともそうしたニーチェの志向を受け継ごうとしている。ニーチェの狙いは哲学批判、哲学の解体にあり、その立場に立つものを木田は反哲学とよぶ。
われわれ日本人の志向の圏域には、西洋のような超自然的原理はない。デカルトが『方法序説』でもち出してくる「理性」ですが、われわれが「理性」と呼んでいるものとはまるで違うものである。デカルトのいう「理性」は人間のものではなく、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所のようなものである。
では、いったい哲学とはなんなのか。哲学の根本問題は、「存在とはなにか」を問うことである。ハイデガーは、プラトン/アリストテレスのものとで超自然的思考様式と物質的自然観が連動しながら成立し、<ある>ということと、<存在する>ということが、<つくられてある>ことと受け取られることになり、この存在概念が以後<西洋>という文化圏の文化形成を規定してきたということを明らかにしようとした。プラトン以前のギリシア人は、自然を「なりいでてある」とみていたが、プラトン以降世界観が変わった。
プラトンには、イデアの世界とその模像である現実の世界を考える「二世界説」があった。アウグスティヌスはプラトンのその「二世界説」を新プラトン主義経由で受け継いだ。プラトンの「二世界説」を「神の国」と「地の国」の厳然たる区別として取り入れた。アウグスティヌスの死後、この考え方はギリシア哲学の遺産はローマ・カトリック教会の正統教義として承認された。そして、西ローマ帝国の滅亡後、ギリシア哲学の遺産はイスラムによって研究された。さらに、13世紀、トマス・アクィナスによって、イスラム経由のギリシア哲学が取り入れられ、スコラ哲学として完成される。
ルネサンスの時代に入ると、ガリレオのように自然をもっぱら物質的に、量的関係に即して見ようとする人たちが一部にあらわれる。ガリレオは分析と総合という二重の方法により、自然を織りなす量的関係をとらえ、数学的に表現できるようになり、数学的自然科学の方法論的基礎が確立された。しかし、当時の人からみると、数学的自然科学という考え方には謎があった。自然はわれわれの外部にあるが、数学的観念は経験的観念ではない。にもかかわらず、すべての精神にそうした数的観念がある。これは、神がわれわれに植えつけた「生得観念」だと当時の人は考えた。だとすると、われわれの外部にある自然の研究に、われわれの精神にそなわっている数学的観念を適用可能なのはなぜか。その存在論的基礎付けが必要であり、それを自然研究の普遍的方法にするのがデカルトの仕事であった。
デカルトは「方法論的懐疑」により、疑おうと思っても疑い得ない真理を求めた。すべてを疑っても、「考えている私」は疑えないと考える。この私は身体もなく、世界もなく、自分のいる場所もないと仮想でき、私を存在するものにしている魂は身体から区別され、身体がなくてもある。私たち人間にあって実体をなしているのは「精神」であり、「身体」はたまたまくっついているだけたと考えた。だからこそ、人間の感覚器官に与えられる感覚は「物体」の、つまり「自然」の構成要素ではなく、身体への現れにすぎない。デカルトはこれにより、「生得観念」の客観的妥当性を確保しようとした。「生得観念」は、当時、神が私たち人間の精神に必要部品として植えつけた観念であると考えられていた。つまり、世界は神によって創造され、神の意図が摂理(理性的法則)として支配していると考えられており、その一方で神はみずからに似せて人間を創造し、それに理性を与えた。人間の理性は神の理性の出張所のようなものであり、その理性に植えつけられた生得観念は、世界を貫く理性法則と神を媒介にして対応している...というわけである。これだけの手続きを踏んだ上で、デカルトは神の存在とその誠実さが証明されたのだから、「物体」の存在を証明できたとする。このデカルトのいう「理性」は私たち日本人のいう理性とはまったく異なるものである。なおかつ、「近代的自我」というべきものではない。また、デカルトが証明したという「物体」が妙なものである。「私の精神」は方法的懐疑の過程で身体から切り離され、肉定的感覚器官などもっていない精神である。その精神が明晰判明な観念をもちうる物体とは、光とか色、音、香、味、熱と冷などの諸性質をもっていない物体である。デカルトの考えでは、純粋な精神の洞察するものだけが自然の真の姿であり、そこには数学的に処理できない生命だの質だのというのは一切ふくまれていない。彼の自然観がしばしば「世界幾何学」といわれるのはこのせいである。
デカルトの哲学は理性を重視したという意味では、間違いなく「理性主義の哲学」である。ここでいう理性とは特殊な意味であることの注意が必要だ。神のRatioを中心にして、一方に世界を貫く理性法則としてのratio、そして、神によって神の理性の似姿として植えつけられた人間のratioと、この3つの理性の織りあげる秩序を重視するのが17世紀前半の理性主義であり、「古典的理性主義」である。
それが18世紀に入ると、事情が変わる。18世紀も「理性の時代」とか「啓蒙の世紀」と呼ばれるが、ここでの「理性」は、17世紀の古典的理性ではなく、神的理性の後見を脱した啓蒙的、批判的理性である。17世紀以降、ベーコン、ニュートン、ロック、ヴォルテール、ディドロなどの啓蒙の運動により、理性そのものが批判された。この時代、人間の認識について対立する2つの立場があった。「理性主義」と「経験主義」である。理性主義は、われわれの理性には生得的な観念(機能と考えてもいい)があると考える。それに対して、経験主義は、われわれのもつ観念はすべて経験的観念であり、われわれの認識はすべて経験的認識であると考える。
経験主義からの批判により、理性主義の立場では、人間理性は神的理性の後見を脱しなければならないが、そこには困難があった。神的理性の媒介なしに、人間の理性認識と世界の合理的存在構造との一致を理論化しなければならない。
そこで、神的理性の媒介なしに、ある範囲内でのわれわれの理性的認識の効力を認めることを主張したのがカントである。彼の主著『純粋理性批判』は、純粋な理性的認識が有効に働く範囲と、その働きが無効になってしまう範囲とを批判的に区別するものであった。もしわれわれの認識しているものが、われわれとは無関係にそれ自体で存在している世界なのだとしたら、理性的認識がその世界の存在構造に一致するはずはない。しかし、もしその世界がわれわれの理性がつくった世界だとしたら、そうした一致が成り立っても不思議ではない。つまり、われわれの認識している世界が、われわれに現れ現象している世界(現象の世界)であり、与えられた材料が人間理性に特有の形式に合わせて加工された世界なのだとしたら、その形式的構造に関しては先天的に知ることができても不思議ではない。カントは、、これまで「われわれの認識が対象に依存し」、それを模写するのだと考えてきたのを180度転回して、「対象がわれわれの認識に依存している」と考え直すことによって問題を解決したといい、この転回をコペルニクスの地動説の発見に比した。カントの考えでは、幾何学と数論は理性的(先天的)認識の体系にほかならない。理論物理学は、現象界の形式的構造についての理性的(先天的)認識の体系である。したがって、幾何学・数論・理論物理学は理性的認識でありながら、われわれの認識する現象界に当てはまり、確実な認識の体系として成り立ちうる。他方、神学や形而上学、あるいは幾何学・数論・理論物理学以外は普遍性を客観的妥当性をそなえた認識の体系ではありえない。したがって、これらについては地道に経験を積み重ねて、蓋然性の高い認識を得るしか道はない。
カントの考え方からすると、神学や形而上学については理性のおこなう認識が有効ではない。そうすると、神を理論的に論じることは無意味になる。ただし、カントの哲学は『純粋理性批判』だけではない。道徳的な実践の主体としての私は現象界の一員ではなく、物自体としての人格でなければならない。『実践理性批判』では、そうした実践哲学を展開した。さらに、『判断力避難』ではデカルト以来の機械論的自然観からもこぼれ落ちてきた有機的自然の問題を取り上げた。
カントの理論では、現象界と物自体界、理論理性と実践理性の二元論的対立、つまり二元論として人間理性の有限性があらわれていた。ドイツ観念論の展開のなかで、その一元化がめざされ、ヘーゲルがその思想を形成した。カテゴリーはたんなる認識のための思考形式のとどまらず、宗教的・倫理的・社会的・芸術的活動など主観の活動一般の形式と考えられるようになる。一方、世界のほうもたんなる自然界ではなく、歴史的な世界ととらえられるようになる。こうして世界は歴史的世界として受け取られ、主観は歴史的世界を形成していく民族精神として、いや人類の精神として捉えられる。ヘーゲルの考えでは、そのとき精神と世界のかかわりは相互的なものである。それはアダム・スミスから学んだ「労働」という使ってとらえる。労働は労働の主体が世界に働きかけ、同時に世界によって自分も働きかけられ、その対話を通じて生成する。そうした相互作用により、弁証法的に精神が生成していく。その世界史は、人間にとって自由の拡大の道程である。こうして人間理性はヘーゲル哲学によって、自然的および社会的世界に対する超越論的主観としての位置を手に入れたことになる。しかも、カントにおいてのように、現象界という限られた領域に関してだけでなく、みずから弁証法的に生成していくことによって、世界の全体に対してそうした位置に立つことができるようになった。ここに西洋の超自然的志向様式は完成する。そして、技術が猛威をふるう。、ヘーゲルが没した1830年代には産業革命の波がヨーロッパをおおう。そうした技術文明は自然科学を基礎にし、物質的・機械論的自然観を基礎にして成立したものである。ヘーゲルの死後、ヘーゲル哲学批判がはじまる。
ニーチェは19世紀後半のヨーロッパの不毛な精神的状況をニヒリズムと診断する。その病因は、これまでヨーロッパの文化形成を導いてきた、彼の言葉づかいでは「超感性的な」、私たちの言葉づかいでは「超自然的(形而上学的)な」諸価値がその力を失ってしまったことにあると考えた。その事態を彼は「神は死せり」といういい方であらわす。神はキリスト教の神であるが、それだけでなく真善美のイデアをはじめとする最高諸価値の象徴の終わりであり、それらが無意味に見えるようになり、ニヒリズムが生じたとする。すべての価値は誤って事物の上に投影されたものであり、それは自然を超えたところに超自然的価値を設定した元凶はプラトンにある。このニヒリズムを克服するには、ニヒリズムを徹底するしかないとニーチェは考えた。最高価値をもともとそんなものはなかったと積極的に批判し、「プラトニズムの逆転」を企てることが克服につながる。
最後に木田はハイデガーを論じる。『存在と時間』が未完であり、ハイデガーの意図を「ナトルプ報告」などから検討を加えるが、そのあたりは省略する。ハイデガーはまずプラトン/アリストテレス以来、西洋の伝統的存在論において一貫して受け継がれてきた存在概念が<存在=被制作的存在>であったことを明らかにする。そこでは<存在するもの>が制作の無機的な材料と見られる。現代の技術文明もそうした文化形成の帰結である。ニーチェと同様に、ハイデガーは技術文明の先行きに絶望し、存在概念を転換することによって文化形成の方向を転換しようと企てる。そのとき彼の念頭にあったのはニーチェに教えられた古代ギリシア早期の<存在=生成>と見る存在概念だったにちがいない。
ハイデガーは1947年に反人間主義(アンチヒューマニズム)を提唱した。それに先立つ1945年、サルトルは『実存主義は一つのヒューマニズムである』という表題の講演をした。ハイデガーは自分の思想は実存主義でもなく、ヒューマニズムでもない。むしろ、人間中心主義であるヒューマニズムを批判し、ヒューマニズムの根幹をなす超自然主義的(形而上学的)思考の克服をはかる反ヒューマニズムだという。さらに、ハイデガーは人間よりも<存在のほうが>、そして存在の住まいである<言葉>のほうが先だと主張する。ハイデガーのこうした考え方が、人間より構造が先だと主張し、反ヒューマニズムを標榜する20世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たち、デリダやラカンやフーコーやドゥルーズといった人たちに大きな影響を与えた。
反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社
2010-05-28
これは素晴らしい。文句なしに名著である。いままで読まなかったのを反省しました。私が選ぶ名著の殿堂入り決定だ。
宣伝文句に「日本人がなぜ欧米人の哲学がわからないのか、その訳がようやくわかった!」とある。
これは誇張でもなんでもない。まさに、目からウロコの本である。
すべての人文社会系の人におすすめしたいし、すべての理系の人にもおすすめしたい。
以下、衿を正して、簡単に要約する。お前らも正座して読むように。
哲学は、西洋という文化圏だけに生まれた、人生観・道徳思想・宗教思想といった材料を組み込む特定の考え方である。あるいは、切り縮めていえば「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方である。そういう考え方をしうるためには、自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならず、それは西洋だけの考え方である。その考え方によると、自然は超自然的原理――イデア、純粋形相、神、理性、精神などとよばれる――によって形を与えられるたんなる材料にすぎない。
西洋でも、はじめからそんな反自然的な考え方をしていたのではない、ソクラテスいぜんの思想家の時代のギリシア人は、そうした考え方をしていなかった。ところが、ソクラテス、プラトンの時代に「イデア」のように超自然的な原理を参照して自然を見るという特異な思考様式が伝統になった。
19世紀後半、ニーチェがこのことに気づいた。彼はその時代のヨーロッパ文化が行き詰まっていると感じ、その原因を探り、その原因が超自然的な原理に立って自然を見る反自然的な考え方のなかにあると見抜く。ハイデガーやメルロ=ポンティやデリダといった20世紀の思想家はすべて、多少なりともそうしたニーチェの志向を受け継ごうとしている。ニーチェの狙いは哲学批判、哲学の解体にあり、その立場に立つものを木田は反哲学とよぶ。
われわれ日本人の志向の圏域には、西洋のような超自然的原理はない。デカルトが『方法序説』でもち出してくる「理性」ですが、われわれが「理性」と呼んでいるものとはまるで違うものである。デカルトのいう「理性」は人間のものではなく、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所のようなものである。
では、いったい哲学とはなんなのか。哲学の根本問題は、「存在とはなにか」を問うことである。ハイデガーは、プラトン/アリストテレスのものとで超自然的思考様式と物質的自然観が連動しながら成立し、<ある>ということと、<存在する>ということが、<つくられてある>ことと受け取られることになり、この存在概念が以後<西洋>という文化圏の文化形成を規定してきたということを明らかにしようとした。プラトン以前のギリシア人は、自然を「なりいでてある」とみていたが、プラトン以降世界観が変わった。
プラトンには、イデアの世界とその模像である現実の世界を考える「二世界説」があった。アウグスティヌスはプラトンのその「二世界説」を新プラトン主義経由で受け継いだ。プラトンの「二世界説」を「神の国」と「地の国」の厳然たる区別として取り入れた。アウグスティヌスの死後、この考え方はギリシア哲学の遺産はローマ・カトリック教会の正統教義として承認された。そして、西ローマ帝国の滅亡後、ギリシア哲学の遺産はイスラムによって研究された。さらに、13世紀、トマス・アクィナスによって、イスラム経由のギリシア哲学が取り入れられ、スコラ哲学として完成される。
ルネサンスの時代に入ると、ガリレオのように自然をもっぱら物質的に、量的関係に即して見ようとする人たちが一部にあらわれる。ガリレオは分析と総合という二重の方法により、自然を織りなす量的関係をとらえ、数学的に表現できるようになり、数学的自然科学の方法論的基礎が確立された。しかし、当時の人からみると、数学的自然科学という考え方には謎があった。自然はわれわれの外部にあるが、数学的観念は経験的観念ではない。にもかかわらず、すべての精神にそうした数的観念がある。これは、神がわれわれに植えつけた「生得観念」だと当時の人は考えた。だとすると、われわれの外部にある自然の研究に、われわれの精神にそなわっている数学的観念を適用可能なのはなぜか。その存在論的基礎付けが必要であり、それを自然研究の普遍的方法にするのがデカルトの仕事であった。
デカルトは「方法論的懐疑」により、疑おうと思っても疑い得ない真理を求めた。すべてを疑っても、「考えている私」は疑えないと考える。この私は身体もなく、世界もなく、自分のいる場所もないと仮想でき、私を存在するものにしている魂は身体から区別され、身体がなくてもある。私たち人間にあって実体をなしているのは「精神」であり、「身体」はたまたまくっついているだけたと考えた。だからこそ、人間の感覚器官に与えられる感覚は「物体」の、つまり「自然」の構成要素ではなく、身体への現れにすぎない。デカルトはこれにより、「生得観念」の客観的妥当性を確保しようとした。「生得観念」は、当時、神が私たち人間の精神に必要部品として植えつけた観念であると考えられていた。つまり、世界は神によって創造され、神の意図が摂理(理性的法則)として支配していると考えられており、その一方で神はみずからに似せて人間を創造し、それに理性を与えた。人間の理性は神の理性の出張所のようなものであり、その理性に植えつけられた生得観念は、世界を貫く理性法則と神を媒介にして対応している...というわけである。これだけの手続きを踏んだ上で、デカルトは神の存在とその誠実さが証明されたのだから、「物体」の存在を証明できたとする。このデカルトのいう「理性」は私たち日本人のいう理性とはまったく異なるものである。なおかつ、「近代的自我」というべきものではない。また、デカルトが証明したという「物体」が妙なものである。「私の精神」は方法的懐疑の過程で身体から切り離され、肉定的感覚器官などもっていない精神である。その精神が明晰判明な観念をもちうる物体とは、光とか色、音、香、味、熱と冷などの諸性質をもっていない物体である。デカルトの考えでは、純粋な精神の洞察するものだけが自然の真の姿であり、そこには数学的に処理できない生命だの質だのというのは一切ふくまれていない。彼の自然観がしばしば「世界幾何学」といわれるのはこのせいである。
デカルトの哲学は理性を重視したという意味では、間違いなく「理性主義の哲学」である。ここでいう理性とは特殊な意味であることの注意が必要だ。神のRatioを中心にして、一方に世界を貫く理性法則としてのratio、そして、神によって神の理性の似姿として植えつけられた人間のratioと、この3つの理性の織りあげる秩序を重視するのが17世紀前半の理性主義であり、「古典的理性主義」である。
それが18世紀に入ると、事情が変わる。18世紀も「理性の時代」とか「啓蒙の世紀」と呼ばれるが、ここでの「理性」は、17世紀の古典的理性ではなく、神的理性の後見を脱した啓蒙的、批判的理性である。17世紀以降、ベーコン、ニュートン、ロック、ヴォルテール、ディドロなどの啓蒙の運動により、理性そのものが批判された。この時代、人間の認識について対立する2つの立場があった。「理性主義」と「経験主義」である。理性主義は、われわれの理性には生得的な観念(機能と考えてもいい)があると考える。それに対して、経験主義は、われわれのもつ観念はすべて経験的観念であり、われわれの認識はすべて経験的認識であると考える。
経験主義からの批判により、理性主義の立場では、人間理性は神的理性の後見を脱しなければならないが、そこには困難があった。神的理性の媒介なしに、人間の理性認識と世界の合理的存在構造との一致を理論化しなければならない。
そこで、神的理性の媒介なしに、ある範囲内でのわれわれの理性的認識の効力を認めることを主張したのがカントである。彼の主著『純粋理性批判』は、純粋な理性的認識が有効に働く範囲と、その働きが無効になってしまう範囲とを批判的に区別するものであった。もしわれわれの認識しているものが、われわれとは無関係にそれ自体で存在している世界なのだとしたら、理性的認識がその世界の存在構造に一致するはずはない。しかし、もしその世界がわれわれの理性がつくった世界だとしたら、そうした一致が成り立っても不思議ではない。つまり、われわれの認識している世界が、われわれに現れ現象している世界(現象の世界)であり、与えられた材料が人間理性に特有の形式に合わせて加工された世界なのだとしたら、その形式的構造に関しては先天的に知ることができても不思議ではない。カントは、、これまで「われわれの認識が対象に依存し」、それを模写するのだと考えてきたのを180度転回して、「対象がわれわれの認識に依存している」と考え直すことによって問題を解決したといい、この転回をコペルニクスの地動説の発見に比した。カントの考えでは、幾何学と数論は理性的(先天的)認識の体系にほかならない。理論物理学は、現象界の形式的構造についての理性的(先天的)認識の体系である。したがって、幾何学・数論・理論物理学は理性的認識でありながら、われわれの認識する現象界に当てはまり、確実な認識の体系として成り立ちうる。他方、神学や形而上学、あるいは幾何学・数論・理論物理学以外は普遍性を客観的妥当性をそなえた認識の体系ではありえない。したがって、これらについては地道に経験を積み重ねて、蓋然性の高い認識を得るしか道はない。
カントの考え方からすると、神学や形而上学については理性のおこなう認識が有効ではない。そうすると、神を理論的に論じることは無意味になる。ただし、カントの哲学は『純粋理性批判』だけではない。道徳的な実践の主体としての私は現象界の一員ではなく、物自体としての人格でなければならない。『実践理性批判』では、そうした実践哲学を展開した。さらに、『判断力避難』ではデカルト以来の機械論的自然観からもこぼれ落ちてきた有機的自然の問題を取り上げた。
カントの理論では、現象界と物自体界、理論理性と実践理性の二元論的対立、つまり二元論として人間理性の有限性があらわれていた。ドイツ観念論の展開のなかで、その一元化がめざされ、ヘーゲルがその思想を形成した。カテゴリーはたんなる認識のための思考形式のとどまらず、宗教的・倫理的・社会的・芸術的活動など主観の活動一般の形式と考えられるようになる。一方、世界のほうもたんなる自然界ではなく、歴史的な世界ととらえられるようになる。こうして世界は歴史的世界として受け取られ、主観は歴史的世界を形成していく民族精神として、いや人類の精神として捉えられる。ヘーゲルの考えでは、そのとき精神と世界のかかわりは相互的なものである。それはアダム・スミスから学んだ「労働」という使ってとらえる。労働は労働の主体が世界に働きかけ、同時に世界によって自分も働きかけられ、その対話を通じて生成する。そうした相互作用により、弁証法的に精神が生成していく。その世界史は、人間にとって自由の拡大の道程である。こうして人間理性はヘーゲル哲学によって、自然的および社会的世界に対する超越論的主観としての位置を手に入れたことになる。しかも、カントにおいてのように、現象界という限られた領域に関してだけでなく、みずから弁証法的に生成していくことによって、世界の全体に対してそうした位置に立つことができるようになった。ここに西洋の超自然的志向様式は完成する。そして、技術が猛威をふるう。、ヘーゲルが没した1830年代には産業革命の波がヨーロッパをおおう。そうした技術文明は自然科学を基礎にし、物質的・機械論的自然観を基礎にして成立したものである。ヘーゲルの死後、ヘーゲル哲学批判がはじまる。
ニーチェは19世紀後半のヨーロッパの不毛な精神的状況をニヒリズムと診断する。その病因は、これまでヨーロッパの文化形成を導いてきた、彼の言葉づかいでは「超感性的な」、私たちの言葉づかいでは「超自然的(形而上学的)な」諸価値がその力を失ってしまったことにあると考えた。その事態を彼は「神は死せり」といういい方であらわす。神はキリスト教の神であるが、それだけでなく真善美のイデアをはじめとする最高諸価値の象徴の終わりであり、それらが無意味に見えるようになり、ニヒリズムが生じたとする。すべての価値は誤って事物の上に投影されたものであり、それは自然を超えたところに超自然的価値を設定した元凶はプラトンにある。このニヒリズムを克服するには、ニヒリズムを徹底するしかないとニーチェは考えた。最高価値をもともとそんなものはなかったと積極的に批判し、「プラトニズムの逆転」を企てることが克服につながる。
最後に木田はハイデガーを論じる。『存在と時間』が未完であり、ハイデガーの意図を「ナトルプ報告」などから検討を加えるが、そのあたりは省略する。ハイデガーはまずプラトン/アリストテレス以来、西洋の伝統的存在論において一貫して受け継がれてきた存在概念が<存在=被制作的存在>であったことを明らかにする。そこでは<存在するもの>が制作の無機的な材料と見られる。現代の技術文明もそうした文化形成の帰結である。ニーチェと同様に、ハイデガーは技術文明の先行きに絶望し、存在概念を転換することによって文化形成の方向を転換しようと企てる。そのとき彼の念頭にあったのはニーチェに教えられた古代ギリシア早期の<存在=生成>と見る存在概念だったにちがいない。
ハイデガーは1947年に反人間主義(アンチヒューマニズム)を提唱した。それに先立つ1945年、サルトルは『実存主義は一つのヒューマニズムである』という表題の講演をした。ハイデガーは自分の思想は実存主義でもなく、ヒューマニズムでもない。むしろ、人間中心主義であるヒューマニズムを批判し、ヒューマニズムの根幹をなす超自然主義的(形而上学的)思考の克服をはかる反ヒューマニズムだという。さらに、ハイデガーは人間よりも<存在のほうが>、そして存在の住まいである<言葉>のほうが先だと主張する。ハイデガーのこうした考え方が、人間より構造が先だと主張し、反ヒューマニズムを標榜する20世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たち、デリダやラカンやフーコーやドゥルーズといった人たちに大きな影響を与えた。
反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社
2010-05-28
日本神話と密教思想の興味深い関係。
●読み替えられた日本神話
斎藤英喜
日本神話が読み替えられていくようすは、中世が面白い。ムチャな神話がどんどんつくられていく。そこには、仏教の影響もみられる。とくに、私が興味をもったのは、「対立する事象は、本来的には一体である」という密教思想が、そこに作用していることである。

ここで興味深いのは、「天地がまだ分かれない始元の状態」をひとつの理想の境地としていることである。仏教はそれを乱すものと考えられているようだ。この点について著者の説明によれば、「仏教は「始元」の時から離れた分別の心=人間的な価値観を吹き込む教えだから、神に仕える者は仏教を遠ざけねばならぬ」P122という。しかし、さらにいえば、そうした論理は神道の側の論理であり、神道は仏教の教えを取り込みながら、仏教を排除しようとしているという。
室町時代には、衆生の「三毒」を身に受けて、アマテラスが蛇体になったという教えがあったという。
明治、戦後からアニメにまで言及しているが、中沢新一について、次のようにいう。
中沢新一のいっていることが、密教や修験道に近いことがよく理解できた。
神話は「読み替え」られているのか、むしろ「創り替え」られていくというべきではないかと思った。
読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)
斎藤 英喜
講談社
2006-12-19
斎藤英喜
日本神話が読み替えられていくようすは、中世が面白い。ムチャな神話がどんどんつくられていく。そこには、仏教の影響もみられる。とくに、私が興味をもったのは、「対立する事象は、本来的には一体である」という密教思想が、そこに作用していることである。
アマテラスが岩屋にこもる原因、それはアマテラスとスサノオの対立にあった。この神々の対立を、仏教教理が説くところの無明(悪・煩悩)と法性(善・菩提)との対立とみなす説も生まれる。そしてそのうえで、このふたつの対立は本質的には「不二」「一如」つまり対立する事象は、本来的には一体のものという一元論の思想=中世天台で作られる「本覚思想」で読み替えていくのである(舩田淳一「中世的天岩戸神話に関する覚書」)。P99-100
しかし中世という時代、大嘗祭よりも大きな意味をもつ儀礼が出現する。「即位灌頂」(即位法)である。その名のとおり、密教のイニシエーション・灌頂儀礼を、天皇が即位するときに行ったというのだ。... 興味深いのは、この即位灌頂執行と中世日本紀の神話世界が結びついているところだ。たとえば、天台系の「即位法門」というテキストでは、即位の法門(教えの意)はスサノオに授けられ、その嫡子のオオナムヂに伝えられ、やがてアマテラスに与えられたという(阿部泰郎「慈童説話の形成」)。日本神話の代表的な神々こそが、天皇の即位灌頂を伝えてきたというのだ。... P101-102
中世の伊勢神宮のテキスト『宝基本記』(『造伊勢二所太神宮宝基本記』)のなかで、ヤマトヒメは、アマテラスが発した託宣をこう解釈していく 私は、今夜アマテラスの託宣を受けた。神主部・物忌(巫女のこと)たちよ、慎んで聞きなさい。人は天下の神物である。人は静謐にしていることが重要だ。そうすることでココとは神が宿る場所となる。心を穢してはならない。神の恵みを受けるには祈禱を第一番とすべきだ。神の守護を受けるには、正直が基本の条件である......。だから神を心に宿した人は、天地がまだ分かれない始元の状態を守り、仏教の気配を隔てさえぎらねばならない......P121

ここで興味深いのは、「天地がまだ分かれない始元の状態」をひとつの理想の境地としていることである。仏教はそれを乱すものと考えられているようだ。この点について著者の説明によれば、「仏教は「始元」の時から離れた分別の心=人間的な価値観を吹き込む教えだから、神に仕える者は仏教を遠ざけねばならぬ」P122という。しかし、さらにいえば、そうした論理は神道の側の論理であり、神道は仏教の教えを取り込みながら、仏教を排除しようとしているという。
室町時代には、衆生の「三毒」を身に受けて、アマテラスが蛇体になったという教えがあったという。
そこからさらに、蛇身のアマテラスという神格を実践的に体得しようとする作用もできあがっていく。蛇身としてのアマテラスを観想する「伊勢灌頂」という行法である(伊藤聡「伊勢灌頂の世界」)。 観想の行法とは、心のなかで仏や神の姿を思い描き、神仏の存在を感得すること。一種のイメージトレーニングだ。おもに密教で発達した作法だが、中世ではそれが神道にも取り込まれた。中世の伊勢神宮では、心を通して神と一体化することを強く説いたが、それはたんなる観念的な教えではなく、観想という行の実践のなかで、神との一体化を果たそうとしたのである。... 蛇体としてのアマテラスを認識するとは、自分たちの祭る神の根源的な姿を知ろうとする知=信の実践である。神の究極、その根源を求めていくという意味では、まさしく神の始まり・起源神話の中世的展開にほかならない。P132-133
明治、戦後からアニメにまで言及しているが、中沢新一について、次のようにいう。
中沢が求めたのは、「宇宙」「表象の体系」「記号」など、構造主義的な解釈から神話を解き放つことであった。まさしく「ポスト構造主義」である。そこで「意識の多層領域をつらぬいて横断していくダイナミックな内的体験」として神話を認識しようとするのだ。「神話」を共同体のなかで語り伝えられる物語ではなく、ある特定の個人の身体の鍛錬によって起こる意識変容時におけるヴィジョンと認識するのである。...じつはそれは、遠く中世の伊勢神宮の内部で繰り広げられた、行者が自らの身体を通して宇宙開闢の瞬間に立ち会う神秘体験の現場=「神道灌頂」「天岩戸灌頂」の行法ともスパークしてくる。P201-202
ところで、興味深いのは、最近の吉本隆明が、中沢新一とシンクロする地点を強調しているところでだ。...吉本は中沢の論述から、瞑想の修行や身体の鍛錬を徹底的に突き詰めたとき、現代の人間たちの五感や身体間隔とは異なった「世界」を感知しうるようになり、現代人にとっては神秘的な超能力や不可思議なことのように見える部分のなかに、人類史の初期=アフリカ的段階の「はるかに根源的でもあり、豊穣でもあるような宗教性」をつかむことが可能であることを示唆していくのである。 ここで「神話」の問題は、人類史の初期=アフリカ的段階という未明の世界の解明というテーマへと展開する。それは高度に発達した資本主義社会が、自らの起源としての歴史(西欧近代)とは異なる地層の「歴史」を探求する動向ともリンクしよう。神話への支店が、同時に「現代」が抱える難題を解き明かす武器とされるのである。P202-203
中沢新一のいっていることが、密教や修験道に近いことがよく理解できた。
神話は「読み替え」られているのか、むしろ「創り替え」られていくというべきではないかと思った。
読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)
斎藤 英喜
講談社
2006-12-19
二項対立の外部にユートピアがあるのか。
チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)
中沢 新一
講談社
2003-04-10
『チベットのモーツァルト』はニューアカデミズムブームの時代の有名な本で、私もずっと昔に2度ほど読もうとしたことがある。そのときは、何をいっているのか読んでも理解できず、2回とも本の最初のほうで挫折した。その挫折本に久しぶりにチャレンジした。今回はなんとかある程度理解できた。それにしても、この本は理解しにくい本である。よく、こんな本が流行したものだ。
中沢がいっていることは、この本の中でも議論されているカスタネダと基本的には同じことである。チベット仏教の修行によって得られる精神の境地がどのようなものかを説明している。その境地をさらに人類学的な知見で説明することが違いといえば、違いである。カスタネダがエスノメソドロジーを批判的していることを知って、へーと思った。
チベット仏教の悟りの境地は、かつてオウム真理教がいっていたこととよく似ている。私は、オウム事件のころロッキング・オンの『CUT』という雑誌に、吉本隆明が書いていたオウムに関する文を偶然、読んだことがある。その吉本が、この『チベットのモーツァルト』の文庫版に解説を寄せている。
というわけで、中沢―吉本―オウム という三角形ができる。
中沢のイメージでは、二項対立とは秩序であって、その外部にユートピアがあると考えているようだ。仏教の修行の境地もそのようなものとして理解されている。それは、文化=反文化という軸に対する、非文化である。非文化にユートピアをみている。それは、丸石についての議論でよくわかる。
二項対立の外部、あるいは前-二項対立の世界をユートピエアのようにいっている。しかし、ほんとうだろうか。二項対立を乗り越えることなんてできないと思う。それは、人間にサルになれというようなものだ。
吉本隆明の解説も読む価値あり。
中沢 新一
講談社
2003-04-10
『チベットのモーツァルト』はニューアカデミズムブームの時代の有名な本で、私もずっと昔に2度ほど読もうとしたことがある。そのときは、何をいっているのか読んでも理解できず、2回とも本の最初のほうで挫折した。その挫折本に久しぶりにチャレンジした。今回はなんとかある程度理解できた。それにしても、この本は理解しにくい本である。よく、こんな本が流行したものだ。
中沢がいっていることは、この本の中でも議論されているカスタネダと基本的には同じことである。チベット仏教の修行によって得られる精神の境地がどのようなものかを説明している。その境地をさらに人類学的な知見で説明することが違いといえば、違いである。カスタネダがエスノメソドロジーを批判的していることを知って、へーと思った。
チベット仏教の悟りの境地は、かつてオウム真理教がいっていたこととよく似ている。私は、オウム事件のころロッキング・オンの『CUT』という雑誌に、吉本隆明が書いていたオウムに関する文を偶然、読んだことがある。その吉本が、この『チベットのモーツァルト』の文庫版に解説を寄せている。
というわけで、中沢―吉本―オウム という三角形ができる。
中沢のイメージでは、二項対立とは秩序であって、その外部にユートピアがあると考えているようだ。仏教の修行の境地もそのようなものとして理解されている。それは、文化=反文化という軸に対する、非文化である。非文化にユートピアをみている。それは、丸石についての議論でよくわかる。
このため丸石は生命/非生命という二律背反までのばれて、物質に生命がふきこまれるという観念につきまとう魂すら、追い払っているように、わたしには思われる。結局のところ物質に対する精神の優位性を示すことになる、死んだ木偶に生命を吹き込む魂などよりも、丸石がみずからを開いているのは、もっと無分別ななにものかである。P264
じっさい、非文化は反文化よりもわかりにくい。反文化ならば、それはさまざまなスタイルで制度に挑みかかって、世界をいきいきさせたり、それまで中心化や統一をはかってきた制度に対立して新しい意匠の別種の制度(パラダイム)をうちかためようとすることとして、納得もされるだろう。ところがこまったことに、反文化は自分を文化の周縁であるとか底辺であるとかみなすことによって、中心と周縁、文化と自然といった観念の境界線をつくりだすわけだけれど、文化にはこの反文化を吸いこみ奪っていくところの虚空間がしつらえてあるので、反文化は中心と周縁とからなる世界の全体像を提示するという文化のもくろみを補強することになってしまう。...
ところが、...非文化は、文化=反文化の二元論がこしらえた言説の場が回収しがいのない、一種ののっぺらぼう、空虚、無でしかないのである。観念の言葉のずさんさに回収されたり、なにかの価値などをつなぎとめておくよりも、現実なるものの力と無媒介的に素手で戯れあうことを好み、それによって捏造や水増しされない状態にある真の人間的能力の誕生の場に立ちあい、徹底的な象徴性、徹底的にのっぺらぼうな畸型ぶり、徹底的なユートピアに輝きわたっている――そのようなものとして非文化を考えることができるだろう。文化の装置の表面にさらされる時には、たいがいその周縁部や境界部につつましい場所をあたえられて、文化となにがしかの関係をとりむすぶことになるけれど、文化を拒んだり逆らったりはしないので、たいていの場合、文化をいらだたせることもない。そのかわり、それは根っこやら出入口をたくさん持っていて、根絶やしになんかできやしない。P266-267
二項対立の外部、あるいは前-二項対立の世界をユートピエアのようにいっている。しかし、ほんとうだろうか。二項対立を乗り越えることなんてできないと思う。それは、人間にサルになれというようなものだ。
吉本隆明の解説も読む価値あり。




