東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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鎌田浩毅さん、それ間違ってませんか。

|2011年3月24日 22:03| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
前回のエントリーと同じく『中央公論』2011年3月号の話題。

鎌田浩毅が、「ものごとを「構造」で考えよ」という文章を寄稿している。

この人の思考法というのをはじめて読んだのだが、「棚上げ法」というのには感心した。というか、興味をもった。なぜかというと、私は最近、そういうことを考えていたからだ。どうしてもわからない部分がある。しかし、わからないままに、議論をすすめたほうがいいという場合がある。その場合、わからない部分をXとして、Xを仮に置きながら、議論していくといった方法を考えていたからだ。これに「棚上げ法」という命名をしているのは、なかなか鋭いと思う。

そのほか、さまざまな思考法が紹介されている。なかなか実用的なものだ。

要素分解法というのは、本や論文を書くときの方法だが、各部を三部に分割し、それぞれをさらに三章に分割し、さらに三節に分け、全体を27節にして考えるといっている。これは、よくあるようだが、3×3×3に決め打ちしているところが新しいように思う。

しかし、この手法を「要素分解法」とよんでいるのはいただけない。「要素分解法」はデカルトの方法論の名前からとっているのだが、デカルトのいっているのとはまったく意味が違う。こんな使い方をしたら、デカルト先生に失礼だ。これは、「3×3×3分割法」ぐらいの名前のほうがいいのではないか。

それより、さらに問題があるのは、レヴィ=ストロースの「構造主義」について述べているところである。理系的思考法の中心には「構造で見る考え方」というのがあるといって、レヴィ=ストロースの「構造主義」を紹介している。しかし、その構造概念には難点がある。最広義の構造概念は、要素を見ずに構造を見るといったものであって、そのレベルではいいようにも思えるが、やっぱり違う。レヴィ=ストロースの理論に内在する価値の相対性についても述べているが、そのときの構造とは、「人間の思考の構造」に限定されている。そうすると、鎌田のいう構造とは異なる。人間は構造的な思考から逃れられない。構造は、文化的に規定されている。レヴィ=ストロースのいう「構造」と鎌田のいう「構造」は違う。鎌田のいっているのは、木を見ずに森を見るといった類のものであり、「森木法」、あるいは「俯瞰法」ぐらいにしとくべきじゃないのでしょうか。

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