東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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『オートポイエーシスの世界』山下和也

|2010年8月 4日 00:25| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
オートポイエーシスの世界
―新しい世界の見方―
山下和也

この本はとかく難解な「オートポイエーシス」をきわめてわかりやすく解説するもので、オートポイエーシスの入門書のなかでも、おすすめ本である。

とにかくわかりやすさが特徴である。といっても、やはりオートポイエーシスはむずかしい。マトゥラーナとヴァレラが考えたオートポイエーシスは生命システムについての理論であった。それが、ルーマンによって意識システム、社会システムに拡張された。私の感想をいえば、意識システムがオートポイエーシスであるという主張には本書を読んでも納得できなかった。意識は境界がなく妄想、想像、邪念など、なんでもありで、かたちも何もない。そんなものがオートポイエーシスであるとは理解できない。とはいえ、この感想は、この本の評価を下げるものではない。

さて、以下は、読書メモ。

「算出されたものがあれば、必ずそれを算出した働きがある。」
(これは、マトゥラーナとヴァレラが掲げた標語、「言われたことのすべてには、それを言った誰かがいる」をオートポイエーシス一般向けに拡大したものです。)7

オートポイエーシス・システムは回帰的に成立する産出プロセス連鎖の閉域ですから、成立した自分自身との関係で作動することができます。つまり、構成素産出の継続は本来その直前の構成素のみによって決まるにもかかわらず、同時に、ネットワーク閉域全体の作動状態そのものを、自分のある構成素の産出条件とすることができるのです。この時、産出の継続を保証するものはネットワークの各部分における直前の構成素ですが、次の構成素の産出というシステムの作動に生じる撹乱の状態は、システム全体の作動すべてを反映します。ルーマンにならって、これをシステムの「自己言及」と呼びましょう。オートポイエーシス・システムは自己言及可能なシステムです。ところが、しばしばルーマンは自分の構成素を産出することそのものも自己言及と言ってしまい、この言葉をオートポイエーシスとほぼ同義で使うことがあるので、注意が必要です。厳密には、自己言及はシステムが実現した後での、システムの作動の一形態と考えるべきでしょう。82

ルーマンによれば、「経済システム」は「支払い」というコミュニケーションを構成素とするオートポイエーシス・システムです。支払いは次の支払いを呼び起こし、それ以外のものを引き起こすことがないので、位相的に閉じています。この際ルーマンは、お金の使用と価格を重視していますが、むしろ、このシステムは「価値・無価値」をコードとし、数字をメディアとしている、と言った方がいいでしょう。価値が量化され、数字で表されたものが価格です。お金とは価値付けられた数字に他ならず、電子マネーが物語るように、貨幣や紙幣である必要はないからです。229

ルーマンによれば、学問システムは「真・偽」をコードにもつ「学的コミュニケーション」を構成素とする社会システムです。...このシステムはオートポイエーシス・システムですから閉じており、学的コミュニケーション以外のものは産出しません。と言うか、それに次の学的コミュニケーションが継続しなければ、そもそもこのシステムの構成素である学的コミュニケーションにはならないわけですが...。224
学問システムにさらにコードが重ねられると、個別の学問になります。たとえば、「生物・非生物」というコードならば生物学、「言語・非言語」というコードなら言語学です。当然、それぞれの学問システムは、自分のコードによるコミュニケーションしか産出しません。それ以外のものはすべて、環境になるのでシステムからは見えないのです。何についてであろうとも、学問システムは自分のコードによるコミュニケーションしか産出しませんから、例えば生物学は、何についても生物か非生物化という枠組みでしか語れません。つまり、生物でないものについては、生物との関連で語るか、あるいは生物ではないという否定でしか語りえないかのどりらかです。それゆえ、同じものについてでも、扱う学問によって産出されるコミュニケーションは異なり、決して重なりません。たとえば、人間について生物学が語ることと、心理学が語ること、社会学が語ることはすべて異なりますし、相互に還元不能です。
この点興味深いのが、哲学という学問で、他の学問とは大きく性格を異にします。哲学は社会システムのさまざまなコードそのものについてのコミュニケーション・システムと考えることができるでしょう。それぞれの学問システムは、実は自分自身のコードについて語ることができません。たとえば、生物学には生物と無生物の区別について語ることはできないし、言語学には言語と言語でないものの区別は不可能です。というのも、それぞれの学問にとって、自分自身のコードはその作動の前提になってしまっているからです。227

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