東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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フェミニストのいう「家父長制」が、やっとわかった。

|2010年1月17日 14:35| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
上野千鶴子の『家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平』を読んだ。私が読んだ文庫版は、1990年岩波書店版を文庫化したもの。もはや古典である。

フェミニストのいう「家父長制」というものが、私にもやっとわかった。が、この概念が一般には理解されていないこともまた理解できた。「家父長制」のわかりにくさについては、上野自身も認めている。

「家父長制」という概念は、フェミニストの間でも議論を呼ぶcontroversial概念である。家父長制という概念さえなかったならフェミニズムはもっとわかりよいのだが、とこぼす人にも少なくない。とりわけ家父長制という言葉の響きが前近代的な大家族を連想させるために、近代的な単婚家族の中で愛する妻と民主的な家庭を築いていると思い込んでいる人々にとっては、自分たちの家庭のどこが「家父長的」なのか、ピンとこない人が多いにちがいない。[70]

私もそういうふうに思っていた。戦後日本の家庭で父親の権力は縮小する一方で、いまや権力とよべるものはほとんどない。なのに、なぜ家父長制なの?と思っていたのだ。

この本を読めば、そこのところをしっかり理解できる。家庭内の性別役割分業が強化され、家事労働が二級労働となり、女性差別が起こるのはすべて近代からである。それをフェミニストは「家父長制」とよんでいる。いってみれば、それは「近代家父長制」なのだ。これは、近代に淵源をもつ。近代になって社会が自由になり、合理的になったというのは一般の理解であり、それは正しいと思うのだが、そのとき同時にジェンダーの性別分業が強化されたのだ。ゆえに、上野はリベラリズムに根拠を置くリベラル・フェミニズム(第1波)の理論を激しく攻撃する。私からみれば、仲良くすればいいのにと思うのだが、やはりそこには重要なポイントがある。近代が女性を解放したわけではなく、近代がジェンダー分業を強化したのだ。

しかし、その理論的説明はあまりうまくいっていない。上野はフェミニズムの解放理論は3つしかないと断言している。
1)社会主義婦人解放論、2)ラディカル・フェミニズム、3)マルクス主義フェミニズム である[3]。そのうちのどれも、近代になってなぜジェンダー分業が強化されたのかという問いにはきっちりと答えられていない。それは、いい換えると、近代と家父長制はどのような関係にあるのか、あるいは家父長制はなぜ近代になって出現したのかという問いである。この点については謎である。

ラディカルフェミニズムはその問いには答えない。他方、マルクス主義フェミニズムは、それは資本制と家父長制という2つの原理によって説明する。上野によれば、家父長制と資本制についての理論には大きく分けて一元論と二元論がある。一元論をとると資本制と家父長制を一体のものとみなしたり、別々に成立したものが後になって統一されたとする見解がある [139-146]。しかし、家父長制と資本制を統一するのには無理があり、議論はうまくいっていない。二元論をとると、マルクス主義の全域的な理論としての神聖性が破れることになり、熱心なマルクス主義者から非難を受ける。また、理論的にも資本制とは別の原理である家父長制がなぜ近代に出現したのかは依然として謎である。



上野千鶴子の理論がよく理解できるが、上野の限界もわかる。

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