東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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アーキテクチャという新しい権力の形。

|2009年11月 4日 20:42| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)
『思想地図Vol.3 アーキテクチャ』東浩紀・北田暁大編
浅田彰・安藤馨・磯崎新・宇野常寛・円城塔・河野至恩・鈴木謙介・原武史・福嶋亮大・藤村龍至・宮台真司
日本放送協会

【書評】

序文で東浩紀は次のようにいう。

「アーキテクチャ」には、建築、社会設計、そしてコンピュータシステムの3つの意味がある。

この言葉は近年、批評的な言説の焦点として急速に前景化している。わたしたちは、イデオロギーにではなく、アーキテクチャに支配された世界に生きている。したがって、必要なのは、イデオロギー批判ではなくアーキテクチャ批判である。
...
今号の『思想地図』は、それらの問題を、領域横断的に検討するべく編まれた特集号である。


という前書きがある。これだけでは、アーキテクチャの意味は、普通に使われている「建築」ということ以外にはよくわからない。しかし、それ以外の意味が込められている。それは、最初の共同討議を読んでも、全然、わからない。

110ページからの鈴木謙介の論文を読んではじめてわかった。そういう意味では、共同討議のなかで宮台がいっているが、この討議は失敗である。アーキテクチャという器に新しい意味を盛り込むのなら、磯崎新が入っているとまぎらわしいし、浅田彰もそうした新しい使い方を肯定しているようではないので、間違った人選だ。東急と西武の宅地開発を論じた鼎談も、ないほうがいい。

まあ、それでも、「アーキテクチャ」の新しい意味がわかったので、この本はよかった。鈴木謙介によると、アーキテクチャとはローレンス・レッシングから来ているらしいが、それは日本において拡張、アレンジされて用いられているという。宮台によるアーキテクチャという言葉の使い方が引用されているが、「人びとに不自由感を与えることなく、設計者の思い通りに人々を操作する統治技術」という意味で使っているらしい。それに対して、東浩紀は「環境管理型権力」として、ドゥルーズの「規律訓練」に対置すべき新しい権力統治の形としているようだ。鈴木がどうとらえているのか、よくわからないが、フーコーの牧人=司祭型権力とみているようだ。安藤馨の論文はきわめてむずかしく、理解困難であるが、安藤のとる功利主義と合致する統治技術として肯定している。

「アーキテクチャ」のとらえ方には、かなりの差異があって、統一された概念にはなっていない。たとえば、鈴木がいうように、アーキテクチャが牧人=司祭型権力と同じであるなら、わざわざ新しい名前をつける必要はないし、それ以前に、鈴木の論理はきわめてゆるいところがある。しかし、そうした欠陥は、致命的な欠陥であるとは思わない。「アーキテクチャ」という言葉を知ることができたので、とてもいい本であった。



★★★★★ アーキテクチャを知ることができた。

 


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