東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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書評 『日常人類学宣言!』 松田素二

|2009年8月30日 23:22| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)

日常人類学宣言!
序章 日常人類学の世界へ
第I部 文化・日常・共同体
第1章 文化/人類学―文化解体を超えて
第2章 変異する共同体
第3章 人種的共同性の再構築のために
第4章 グローバル化時代における共同体の再想像に向けて
第II部 生活・環境・知識
第5章 必然から便宜へ
第6章 支配の技法としての森林保護
第7章 土地の正しい所有者は誰か
III部 個人・身体・実践
第8章 セルフの人類学に向けて
第9章 複数化する間身体
第10章 フィールドワークの窮状を超えて

本書は、文化人類学の重要な問題について10章に渡って、それぞれ深く議論を展開するものである。

その議論は著者のフィールド体験と運動指向にもとづくもので、理論のための理論といったものではなく、オリジナリティのある思考、地に足のついた議論が粘り強く展開されている。

それぞれの内容はけっこうむずかしい。全体を通底しているのは、社会構築主義が想定しているような非実体論、あるいはポストモダニズム的な議論、さらに「文化を書く」という問題などにより、現在、人類学においてリアルな議論が困難になっているという人文科学全体の問題にかかわる問題系である。

それは、たとえば、本質主義と構築主義、さらに反本質主義、反・反本質主義といった議論。これだけでも、答えがないようなむずかしい議論である。そうした答えがないような問いを次々に考察していく展開になっている。

そのなかで、著者のオリジナリティが強く出ているのが、「生活知」という概念である。それは生活の便宜にもとづいて、生活世界のイディオムを操る力であるとされる。たしかに、この議論は興味深いのだが、そのまま理論が尻すぼみになっているような印象を受けた。もっと「生活知」について、理論的な発展をめざしてほしい。これは、無意識がからむもので、証明が困難で、議論がむずかしい分野なのであるが、がんばってほしいところだ。

ただし、私が見るところ、この「生活知」という概念は、じつところ人類学でいうところの「象徴的思考」と同じものだと思う。それは恣意的であり、生活の便宜というよりも、ときに排他的な形をとり弱者を差別するような行為に人を動かし、それは善悪などの価値判断ではなく、恣意的な神話的思考によって決定されるものではないか。したがって、それは結局のところ「構築されたもの」と同義になってしまうのだ。その先にある論理的な帰結は、結局、社会構築主義は正しいということになってしまい(困ったことであるが)、生活の便宜は吹っ飛んでしまう。

正直いって、もう1度読み返さないとよくわからないところも多いが、とりあえず、著者の粘り強い議論の連続に敬意を表したい。

★★★★★ 院生向け 借り物でない思考


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