東京下流人日記|ワーキングプア脱出をめざす自宅警備員の生活と意見、時事議論、書評など

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書評『女は何を欲望するか?』内田樹

|2009年8月 9日 10:33| 個別ページ | コメント(0) | トラックバック(0)

『私家版・ユダヤ文化論』がめっぽう面白かったので、もうひとつ、内田の本を読んでみた。

これは、フェミニズム理論を批判した書である。ボーボワール、イリガライ、フェルマン、バトラーなどの理論を批判している。ズバズバと切りまくるという感じである。反フェミニズムの人には気持ちいいい切れ味であろう。

批判はいわゆる構築主義にかかわっているが、構築主義そのものを批判しているのではない。

フェミニズム言語論の批判である。とくに、「女として語る」「女として読む」「女として書く」といった理論を詳しく説明し、論駁している。それは、舌鋒鋭いものがある。

理論そのものの批判とは別に、メタ理論的な批判も同時におこなっている。新書版のためのあとがきによると

私が本書で論じているのはフェミニズムの理論的瑕疵についてである。もっと厳密に言うと、どうしてこのような理論的瑕疵が知的に卓越したフェミニストたちによってさえ組織的に看過されたのかという「フェミニスト・ブラインドネス」の問題である。・・・
結論から先に言ってしまおう。
それは人間の知性はその知的卓越性の絶頂において失調するからである。私たちの知性の不調は「絶好調」という様態において発現するのである。...
なぜかと言うと、知性はその「絶好調」の頂点において「私はなぜこれほど賢いのか?」という(答えてはならない)問いについ答えを出してしまうからである。

このメタ批判もまた興味深い。この理屈のつくり方に内田の独特の思考パターンがある。しかし、その興味深さはいいのだが、正しいのだろうか。私は、たんにフェミニズムに理論的に間違った部分があるというだけのことではないかと思う。したがって、理論の間違いを正せばいいのだ。

しかし、その間違いの根本問題はかなりわかりにくいところにあると思う。内田の理論批判が切れ味鋭くても、何かしら釈然としないのは、真の理論的問題点に肉薄していないからだと思う。

つまり、問題の所在を明らかにすること自体がきわめてむずかしい問題が隠れているのだ。それは、おそらく内田が検討していない構築主義そのもののなかにあるのではないかと思う。内田に、構築主義の批判を望みたい。

女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21)
内田 樹
角川書店
2008-03
コメント:フェミニズムの存在意義について
コメント:女のことは女にまかせて
コメント:内田樹の本は今までも何冊か読んだが,どれもわかりやすく読みやすかった。しかし,この本はまったく例外。
コメント:慈愛に満ちたフェミニズム追悼論集
コメント:骨を拾う仕事


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